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教育は愛情と忍耐

  You can take a horse to water, but you can’t make him drink. という諺が英語にあります。「馬を水際へ連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という意味です。これはもちろん学習には動機がなければならないことを諺にして述べたものです。自分にしっかりとした将来の目標があればそのために必要な「水」を自分の意志で「飲む」でしょう。本来の学習とはこういうものだと思います。

しかし、中学1年の段階でしっかりとした将来の目標を持っている子どもは極めてまれだと思います。多くは様々な疑問を感じながら教育制度の中で迷いつつ勉強しているのではないかと思います。とすれば、私達親や教師がすべきことは、子どもが自分の意志で「水を飲む」ようにしてやることではないでしょうか。自分の意志で「水を飲む」ようになれば、それがその子の「生き方」になっていくはずです。子どもの「生き方」を子どもとともに考えていくこと、それが教育ではないかと私は考えています。

さて、人間にとって物事が分かるということは一種の快感だと思います。どんな子どもも授業が分かりたいし、試験でいい点を取りたいものです。しかし、授業を理解し、いい点を取るためにはそれなりの努力というものが必要です。粘り強く努力を続けるということは怠け者の人間にとっては辛いことです。そこで次のような励ましの言葉があります。

  If at first you don’t succeed, try, try, try again.

 「初めはうまくいかなくても、何度でもやってごらん」

人間は自分の意志だけではなかなか努力を継続することができません。が、親や教師から絶えず励まされていると、思った以上の成果をあげることがよくあります。子どもをよく観察して少しでもよい所があったら必ず褒めて励ますことが私達に課された義務だと私は思っています。そしてこれは子どもに対する愛情がなければできることではありません。叱ることはもちろん必要ですが、その何倍も私達は子どもを褒めなければなりません。それが愛情というものでしょう。

また、私達は子どもに対してすぐに結果を求めてしまいます。授業中に何回も繰り返し説明をし、覚えるように言ったのにテストで間違えると正直言って腹立たしい思いをします。こういうとき私は自分自身の心の中で「我慢我慢」と叫びます。そして次の言葉を思い浮かべます。

  You must learn to walk before you can run.

 「走る前に歩くことを覚えなさい」

 

学習には幾つかの段階があって、それを順序正しく踏んでいかなければ目標に到達することはできません。学習内容を理解する能力はあっても授業を聞いていなければ分かるはずはありませんが、中学の時期は個人差も大きく、また環境への適応力の違いというものもあってなかなかカリキュラム通りにはいきません。しかし、カリキュラムはこちらが敷いたレールであって、いまそのレールの上を走れないからといってそれは子どもの責任でしょうか。今走れなければまず歩くことを教え、自分で歩けるようになればやがて走り出し、そのうちに先頭を走っていることになるかもしれません。やがてそういう時が来ることを信じて、子どもを見捨てることなく我慢強く見守っていくことが私達にとって重要なことではないでしょうか。